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コーチング

100個のレッテル、100通りの解釈

今、すすめられて「子育てコーチングの教科書」あべまさい著を読んでいます。

この人はいい人、悪い人。

この人はすぐに切れて大きな声を出すから悪い人。

何でも黙って、その暴言とも受けとれる言葉でも受け入れてあげているから、あの人はいい人。

みたいに。

人はいいか悪いかのレッテルを貼りがちです。

これは、よく言われる言葉です。

また、人に対して、「レッテルを貼っていい」「レッテルを貼ってはいけない」

というのも、いい、悪いに分けて考えているのです。

ずっと限りなく、自分以外の人に、レッテルを貼り続けてしまうのです。

『こころの対話25のルール』を書かれた伊藤守さんが言われている言葉がこの本の続きにありました。

「私は裁判官ではありません」

コーチングをするときに、心に一つだけこのことを「祈る」のだそうです。

話を聞いて未来への行動を応援するコーチですが、その「スタンス」が、裁判官ではない、ということではないのです。

「あり方」でもありません。

「ポリシー」でもありません。

あくまでも、「祈り」としてだそうです。

コーチは判断を下す人ではなく、判断はその人に任されているということだそうです。

日常の生活では、自分にも他人にも、いい、悪いの判断を下す裁判官をやっています。

それは、そういう心の働きで自分を守っている人間ですから、しかたない。

だから、いつも心して、「私は、裁判官ではありません」と伊藤さんは祈ると言われたのだそうです。

ただ、ここに、

先達コーチの教えとして、つぎのことがありました。

「もし、目の前の出来事や、目の前の人や、自分自身に、レッテルを貼りたくなったら、その時は、「いい」「悪い」のどちらかではなく、百個のレッテル、百通りの解釈を考える」