人に、また、大事な家族や友人に、自分といる時には安心感をもっていてもらいたい、そのために何ができたらいいでしょうか。
大事な家族ですから、少しでも今日一日、明日からの生活を幸せにすごしてもらいたい、そう感じます。
それなのに、その思いとは裏腹に、うまく会話がつながらなかったり、コミュニケーションうまくとれなかったり。
安心感を持ってもらうためにすること
1 小さな約束を守ること
2 話を聞くこと
3 会話のキャッチボールをする
です。
この小さな約束を守ることは一見簡単そうに見えます。
しかし、案外難しい、と感じてます。
なぜなら、身近な人であればあるほど、つい、自分の忙しさにかまけて、まあいいか、と少し甘えてしまうということはありがちだからです。
私は、認知症の母と過ごすことが多いのですが、私より母は規律性が高いと思います。
夜だいたい決まった時間に、夜の支度の確認と夜の投薬のために、母の元へ行きます。
私は、つい、この認知症という病気にも甘えてしまい、ついつい、まあいいかと、5分10分と遅くなる日が続いています。
あきらかに母は怒っています。
私も、ちょっと気を付ければ、その決まった時間に母の元へ行けるはず。
まあいいか、大きく怒られるわけでもない。
ほんのちょっとの時間の遅れだし。
母の元へ行くということだけでも私はがんばっているのではないか。
これが、今自己基盤でならっている「妥協」、というものでしょうか。
まあいいか、と流してしまう。
この積み重ねが、母の私への安心感の貯金を減らしているんだなと思いました。
ずっと大事に積み立ててきていた、母からみた私の信頼残高。
残高が少なくなるきっかけは、ほんのちょっとの出来事。
それに比べ積み立てていくのは、とても時間もかかるし、ほんの少しずつです。
大きな約束を守るということはもちろんです。
このような、誰にも怒られないし、
収入に影響するものでもない、
でも、何より大切な人の信頼残高がへっていってしまうのです。
また、この小さな約束を守れない、というとき、何がそれをさせているのかを考えてみることも大事です。
私の場合、母の気持ちや思いを推し量ることが少なかったのかなと思いました。
また、自分への気持ちがいっぱいいっぱいで、自分を満たしてあげることが足りていないのかもしれません。
また、一番大事と言われる睡眠が足りていなくて、体の調子が今一つで母への気遣いがもっとできるくらいまでには体力が足りていないということだったのかもしれません。
よく寝て、自分も満たして、母が楽しそうにしているのを思い浮かべる。
そして、母が安心してくれるためでもあるけれど、時間通りに母の元へ行くというのはそれだけではないことがわかりました。
自分のため。
自分との約束を守って、時間通りに母の元へ行く。
時間を守ることは、母のためになっている、
また、自分との小さな約束を一つ一つ守ることが、自分を大事にしていることになる。
5分10分遅くならないように時間通りに母の元へ行く、そのことで、こんなにいいことがたくさんです。
やらないでおくにはもったいない!