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コーチング

「知らない」って言うことは、恥ずかしいこと?

「知らない」って言うのは、なんだか恥ずかしいな。

「みんなが期待してくれているのに、知らないっていうのは、かっこ悪いな」

「この立場なのに、知らないなんていうのは無責任?」

「知らない」って言うのも、話の中で何か相手に対して冷たい関わり方のような気がする。

ちょっとは知ってるから、知ってるって言いたいし。

「知らない」ということを伝えるのは、勇気がいりますよね。

周りの人は、私が知らないってことを、気づいているかもしれないです。

「私は、このことは知りません」ということは、恥ずかしいことでしょうか?

「知らない」と伝えることは恥ずかしくないんです。

「知らない」ことを馬鹿にされるのではないかと、気にすることもないんです。

そのように素直に「知らない」と言えるのはありのままの自分でオッケーを出している状態です。

「知らない」と言えるというのは、とても自分に自信が持てている状態なんです。

だから、恥ずかしいというのは、全く見当違いなのかなと思います。

どうして、「知らない」ことが恥ずかしいことではないかというと、

第一に、私は「知らない」と伝えられるのは、知らないことに真摯であるからです。

「知らない」ことは馬鹿じゃない。

「知らない」ことは恥ずかしいことじゃないんです。

そのように今は「知らない」、だから一緒に「知らない」ここから進んで学んでいけたらいいですよね。

次に、私は「知らない」と伝えられるのは、あるがままの自分を大事に認めているということだからです。

今、私は、知らない。

だから、教えてほしいことを「教えてください」と言えること。

知っているようなふりをしなくても、私は大丈夫な人間。

そんなふうに自分に正直でいられるから、「知らない」と伝えることができるんです。

自分に自信がもてているから。

「知らない」ということをそうやって伝えることができていると、いいことが増えていきます。

今度は素直に多くの情報や知識が入ってきます。

相手とのコミュニケーションもすんなりとうまくいくそうです。

あるがままで正直でいられること、こんなに最強な心持ちでいたいです。「知らない」ってことに真摯であれ、とも言われています。自分が聞かれたときもそうだし、人にものを尋ねる時も、「知らない」ことに真摯であること。

 参考 『こころの対話25のルール』伊藤 守著