今日、母のことについて、人に話しをする機会がありました。
母はとても穏やかに日々を送っています。
5年前から認知症を患っています。
まだ着替えもトイレもご飯を食べることも会話も、自分のことは自分でできます。
ただできなくなったのは、
自分が何がやりたいのかを考えること、
やろうと思ったことが、自分でできないことです。
母の認知症も発症の年を考えると、あと20年ぐらい経つと、私はそこに近づきます。
もちろん、私自身、認知症になるリスクを最大限なくすように、毎日気をつけようと努めています。
それでも何が起きるかわからないのが現実です。
今日何が書きたかったかと言うと、
自分が何をしたいかのかよくわからない状態、
したいことが分かっても、どうしたらいいのかわからない状態、
これって、先ほどの母の認知症と同じ状態ではないのか、と気付いたことです。
私は、母を否定するつもりはありません。
母の人生。
大切な母の人生。
母の残りの人生も、大切な大切な母の人生。
そして、亡くなった父の人生についても。
そして、今日、母の話をして、もう一つ気づかされたことがあります。
いつ、死ぬのかわからないのだから、今、この現在を幸せにすることが大切。
今、この現在を幸せに暮らす、ということを一番にしているのが、実は、母なのではないのか、ということです。
認知症の母が生きるこの毎日、
今日をいかに楽しく幸せに過ごすのか、それを一番に考えて、今日を生きているのです。
私は、何をしたいのか、それは、なんとなくこれがヒントになるかも、というものをやっと見つけました。
そのためには、ある程度、黙々と勉強の時間をとる必要があります。
あっという間に過ぎていく一日の中に、その時間をとることが必要です。
その勉強をする今日の一日も、大切に味わいながら、時間を過ごしていきたいと思います。