辛い気持ち、とても楽しかった気持ち、大好きな気持ち。
私って優しいなぁっていう気持ち、明日はワクワクするという楽しい気持ち。
あの人さえいなければいいのにっていう意地悪な気持ち。
また自分は失敗しちゃったという自分にがっかりした気持ち。
嫌だなー行きたくないという嫌な気持ち。
なんで自分ばかりこんな目にあうのだろうという人をうらやんでいる気持ち。
あの時のあの人のせい?と人を恨む気持ち。
気持ちって、人にも分かち合いたいような楽しい誇らしいものがあります。
また、自分では考えたくないような嫌なものや、私の中から追い出したいような恥ずかしい人には話せない気持ちも。
そうなんです。
いろいろな気持ちがあります。
全部私の大事な気持ち。
これは自分の中の1部分で、本当の気持ちはまだまだあるんです。
ただ、ついこんなふうに思ってしまいませんか?
「自分の中の、私が思うかっこよくない気持ちは、もちろん人になんて話せるわけない。」
「この気持ちは無かったことにしたい。」
自己基盤の大切さを学んでいく中で、自分にとって悲しくて認めたくない嫌な気持ちもあるってことを認めることが大切なのが分かりました。
そんな恥ずかしいかっこ悪い気持ちも、楽しい誇らしい人に自慢したいくらいの気持ちと優劣をつけないで、同じように、自分の中にある、ということを感じるのです。
この気持ちは悪いきもちだから、自分の外へ追い出そうとしてはいけないのです。
自分の中にあってほしくない、人を悪く思うきもちなども、自分の気持ちの中の一員として、「ここにあるんだね」と認め感じるのだそうです。
どんな気持ちも、「そうか、ここにあるんだ」と気づいて認めてあげるのです。
自分が悪いと思っている気持ち、例えば人を恨むきもちなど、そんな悪い気持ちなんて私の中にあってはいけない!
自分の中にこの気持ちがあるなんて、許せない!人を悪く思う気持ちなんて、自分にあってはいけない!
人を悪く思うなんて、人間として恥ずかしい!こんな気持ちはダメだ。
なかったことにしないと。
これは、感情を押し殺すことになってしまいます。
ここで大きく間違えやすいのは、これが感情のコントロール、ではないということです。
感情を押し殺して、その感情をなかったことにしようとしているのです。
これは、悪いと思っている自分の感情のみを追い出したつもりですが、同時に、楽しい・誇らしい・ワクワクした気持ちなども、一緒に感じられなくなってしまうそうです。
楽しい感情も一緒に押し殺してしまうのです。
都合よく嫌だと思う感情のみを消し去る、ということはできないことになっているそうです。
また、全部の自分の感情を認める、ということと、感情を周りにそのまま振りまき、いやぶちまけるのは違います。
感情を表すのは、何でも自由にしていいのではなくて、ここにあるということを認める。
そして、その表わし方の前に少し間をもつこと。
どんなふうに表すかは、自分で選択すること。
それが、感情をコントロールするということになります。
七つの習慣での主体的に生きるということにつながる話だなと思いました。
大事なことは、いろいろな人が言葉を替えながら、伝えてくれているのだなと思いました。
参考図書「きっと、うまくいくよ 自分の価値に気がつく30のレッスン」伊藤守著