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コーチング

自分の中から

始まりの時間に少し遅れてしまったけど、遅刻の人もまあまあいるからいいかって、やり過ごすことありませんか?

自分の失敗を人のせい、親のせい、周りのせい、環境のせいなどにして逃げていませんか。

「忘れ物をしちゃったけど、他の人に見つかっていないからいいよね。」

「締め切りが昨日だったけど、私には時間がなかったから仕方ない。」

「失敗しても仕方ないよね。みんなそういってくれるし。」

「人と違うことをするのは、他の人から変な目でみられるかもしれないから、やめておこう。」「

「このくらい、やっておけば、何とか形になるかな。」

「まあ、これなら、何か言われることもないだろう。」

こんなふうについ考えてしまうことはありませんか?

このように過ごすことが当たり前になっている場合、自分が「生きる」人生ではなく、「生かされている」人生なのかもしれません。

つまり、自分の人生に責任を持っていない人になっちゃいます。

自分が不幸になるのも、自分以外のせい。

自分が幸せになるのも、自分では掴めないことになります。

自分じゃない何かに支配されていると同じなんです。

なぜなら、

自分の責任を持たないというとき、自分自身が幸せをつかむ自由も持たないということと同じだからです

そもそも「遅刻したけど、周りの人もしているから」というのは、何のためにそこへいくのでしょう?

周りの人が集まっているから、なのでしょうか。

その場所で、みんなで地域の人が喜んでくれるイベントを開催するための準備をするからじゃなかったのでしょうか。

まず、人や周りに責任を押し付けて自分は被害者のように振る舞う言動では、一見楽なようですが、不自由なんです。

いつまでたっても、何歳になっても自由な幸せな人生から距離を置くことになるんです。

まずは、

1 約束をしてそれを守る。自分との約束でも、他者との約束でも。その約束に対して、誠実な態度をとる。

2 目標を立て、それを達成するために努力する。

『完訳 7つの習慣 人格主義の回復』スティーブン・R・コヴィー著

約束を守ること、自分の立てた目標に向かって努力すること、これらを行う過程で、自分の自尊心がそだち、自分の責任ある言動で幸せと自由をつかめるのだそうです。

よくできているもので、いいようにごまかしてその場その場でいい顔をして責任ある言動から逃げ出している自分は、結局は自由がなく、自己肯定感が上がらない、自分で生きている感覚がもてないのです。

解決策として、自分や周りの人と約束をしていたら、ほんのちょっとの約束でも、守る。

相手が全然気にしてないように見える約束も、約束をしたなら守る。

みんなで、責任転嫁をしない言動をする、自分を生きる人生のために。